2006年12月09日

余韻をぶった切る

映画が終わって、お芝居が終わって、コンサートが終わって、 
「余韻に浸りたい」 
観客は、しばし、その感動が幽かに残る心地よさに身を委ねていたいものである。それが表現の発信者にとって、また受け手にとっても常道だと思っていたのだが、ものの見事に裏切られたことがあった。 
今年7月の歌舞伎座・夜の部、坂東玉三郎の監修による、泉鏡花の『山吹』である。鏡花独特の耽美主義をもって描かれる夢と現の狭間の話なのだが、とにかく難解で退屈。さんざん夢幻の世界を見せられた挙げ句、幕切れで主人公の画家は次のように言い放つ。 
「うむ、魔界かな。これははてな、夢か、いや、現実だ。ええ、俺の身も、俺の名も棄てようか……いや、仕事がある!」 
えっ、仕事って……客席は茫然自失。そして笑いに包まれる。なんだこれは? 主人公自らが余韻をぶった切ったではないか? 僕はまったくもって理解不能だった。 
そして先日の憂国忌で、村松英子が三島由紀夫先生の戯曲『薔薇と海賊』の公開読み合わせを披露した。 
「僕たちは夢を見ているんではないだろうね」と問う青年に女主人公は次のように答える。「私は決して夢なんぞ見たことはありません(そして幕)」 
彼女がもっとも好きだという幕切れの台詞である。 
これを聞いたとき、僕は真っ先に『山吹』の幕切れを思い出した(三島先生は『山吹』を絶賛している)。余韻のぶった切りである。こういう演出方法が世の中には存在するのである。例えば以前武道館で観た椎名林檎のコンサートで、彼女は幕切れでマイクをボトッと落として舞台袖に消えた。 
うーん、つらつら書いてみたのだが、どうも今の僕にはその魅力が分からないのだ。 


posted by 山崎達璽 at 00:00| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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