2008年11月27日

池谷さんちの書斎兼バー

20081127230723.jpg美術監督の池谷仙克さんのお宅に呼ばれた。昨年の撮影中に、自宅の離れに書斎兼バーを作ったから是非遊びに来てくれと誘われていた。敬愛する池谷さんから誘われるなんて、こんな光栄なことはない。今日の日をずっと楽しみにしていた。

池谷さんの存在を知ったのは中学1年の時である。ちょっと背伸びをして『帝都物語』を観た僕はとてつもない衝撃を受けた。なんだ、この美術は。それこそ様式美に目覚めた瞬間だと言ってもいい。以来、いつか池谷さんに美術をやってもらいたいと思い続けた。
それから約20年、ついにその夢が叶ったのが『宮城野』である。

書斎とは男のロマンだ。本は所有して並べておくことに意味があるのだ。そこに入ればその人のすべてが分かる。池谷さんの書斎に呼ばれて、そこでお酒を作ってもらい、手料理を頂く。恋愛で言うならばこれは“寝た”に等しい。いやそれ以上だ。だって6時間も時間を共有したんだもの。
池谷さんは尊大なところがない。仕事中でも今日のようなリラックスした場でも絶対「監督」と呼び敬語で話してくれる(父親よりも年上なのに……と恐縮しっぱなし)。ふっと映画仲間と飲んでるような錯覚に陥る。池谷さんの眼はキラキラと輝いていて、学生時代の僕らのそれと同じだ。
それにどこまでも色っぽい。若い頃にちょっと背伸びをすることは男のダンディズムだと。確かにダンディーでもある。また、芸術的感性は突き詰めればフェミニンなものに至るとも。そんな匂いも含めて、やはり色っぽいというのが一番似合う人だ。

今日は映画の話から恋愛論、文化論、政治論など多岐にわたる話をした。ほかに『帝都物語』のスケッチにはしゃいだり。これまた監督冥利に尽きる一夜だった。
posted by 山崎達璽 at 23:55| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』

11/13には新橋演舞場に「花形歌舞伎」を観に行ったが、今日は国立劇場の乱歩歌舞伎『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』を観に行く。
僕は江戸川乱歩が好きだ。大学3年生の時に『人間椅子』をモチーフにした『夢現坐乱事(ゆめうつついすのみだれごと)』という短編映画を撮ったぐらいである。それ以来、10年以上乱歩ワールドにどっぷり浸かっていると言ってもいい。その乱歩の大人向けの怪奇小説が歌舞伎になる。僕にとっては夢のような話だ。なんでもチケットが完売だとか。

さてさて、休憩を省くと2時間ちょい。非常にテンポがいい。確かに面白い要素はたっぷりあって楽しめた。が、どうも物足りない。それは何か? 乱歩を題材にするなら、やはりエログロナンセンスを求めてしまう。それがほとんどなく、いたって真面目に作られている感じがする。猥雑さをなくしてコツコツと筋を通そう通そうとしているのである。幕末の暗い世相を現代に投影しているのだが、幕切れに至ってはそれを演説してしまう。世を憂うことは洒落にして笑い飛ばして欲しかった。
そんなことをいうと、いつもの僕の主張である「原作と比しての論議の愚」に至ってしまうのだが、仮に乱歩原作をはずしてもこれは歌舞伎としていかがなものかと思う。荒唐無稽こそが歌舞伎のみずみずしいエネルギーではないだろうか。市川猿之助の復活狂言や三島由紀夫の擬古典調の新作歌舞伎『椿説弓張月』などにはそれが貫かれていた。新作と言えども歌舞伎の本来の持ち味が損なわれてしまってはそれは歌舞伎ではない。
終演後、「面白かったね〜」と言う声を多く耳にした。聞き耳を立てると、それは早替わりや宙乗りなどのケレンの要素だ。猿之助さんが舞台に立たなくなって久しい。猿之助さんはそれを実に巧みにやっていた。たぶんこの若いお客さんたちは猿之助歌舞伎を知らないのだろう。どこまでも“猿之助の不在”を痛感するお芝居だった。
posted by 山崎達璽 at 22:59| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

『レッドクリフ PartT』

『レッドクリフ PartT』を観る。
しょせん映画の善し悪しなんて好みの問題。人は嫌いなものには論理的になるもの。だからはっきりと私見を述べよう。こんな映画は愚の骨頂。だから何だ!と言いたくなる実に下らない時間だった。
2003年日本公開の『HERO〈英雄〉』に始まる一つのスタイルがある。重厚なシナリオを、写実的なものを排除して完全な様式美によって描くシナの歴史劇だ。あまりに乱発されて最近食傷気味だが、僕はこのスタイルはすごく好きだ。『レッドクリフ』はそれは意図してない。それにしてもシナリオが陳腐。コクのない大味な大作ほど退屈極まりないものはない。
冒頭から大仰なズームインの連続。往年の大映テレビか。そしてお笑い草なのは延々と続く合戦シーン。人民解放軍のエキストラはハナからやる気なし。十数人単位を見せるときは劇画タッチのカット割で、何万人単位を見せる大ロングになるとCGになる。これが全然馴染んでなくて何度も失笑。
PartUなんてお金をもらっても観ない。
posted by 山崎達璽 at 18:32| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月15日

中村ノリよ、おまえもか。

まさに寝耳に水。中村紀洋がFA権を行使する!
今シーズン途中で権利を取得したときに男ノリは「興味ない」と言ったはず。中日スポーツではドラゴンに骨を埋めるつもりだと報じていたのに……。
朝日新聞によると、来季は三塁は森野に固定され、一塁は新外国人と若手に競わせることになるため、ノリのレギュラーが危うくなったからだとか……。
だとしたら、これは由々しき事態だ。どん底まで落ちても人生はやり直せる。それを身をもって体現してくれたノリ。その姿に中日ファンのみならず、世の中のみんなが喝采を送り、そしてどれだけ勇気づけられたか。中日球団への義理のみならず世の中への義理があるはずだ。それなのにレギュラーが危うくなったら、ホイホイFA宣言。結局は金と名誉なのか。
このままいったら、僕は野球選手はみんな信じられなくなる。日本中の野球ファンは何を信じればいいのか。
posted by 山崎達璽 at 17:16| 中日ドラゴンズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

竹本朝重さんを偲んで

女流義太夫の重鎮・竹本朝重さんが亡くなった(気持ちとしては朝重「師匠」とお呼びしたいのだが、僕は直接教えを受けたわけではないので「さん」とさせていただく)。
『宮城野』のなかで義太夫の出語りという演出に挑戦したのだが、今思えばそのきっかけを作ってくださったのは朝重さんだった。
映画で出語りをやるなら女流義太夫がぴったりだと思った。男性のみが演じる歌舞伎、人形が演じる文楽とは違い、映画『宮城野』のこの場面は生身の女性が演じる。女性の語りによってこそ情念や艶が出るはずだ。
女流義太夫がパッと浮かんだのは、大学時代の「歌舞伎・舞踊研究会」の公演で毎年お世話になっていたからだ。大学一年の最初の公演で『仮名手本忠臣蔵』の七段目が掛かった。その語りが朝重さんであった。大学の歌舞研の公演は男女とも舞台に立つ。よって女性の声がしっくりくるのだろう。このとき女流義太夫に初めて触れてその素晴らしさに魅了されたのである。歌舞研での僕は専らビデオ撮影担当だったので、直に接する機会はなかったが、度々朝重さんにはお世話になった。
『宮城野』の出語りにはそんな経緯があった。今朝の産経新聞で朝重さんの訃報を目にして、すぐさま鶴澤寛也さん(『宮城野』では三味線を弾いていただいた)にメールした。「最後の舞台はわたしが弾かせていただいた」とのこと。
心よりご冥福をお祈りいたします。
posted by 山崎達璽 at 11:51| 映画『宮城野』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

睡眠の質が悪くて

ここんところどうも睡眠の質が良くない。つまり熟睡できていない。
茅野から帰ってきたら仕事が山積してたり、楽しい思い出に浸ったり、上映の興奮がいまだ続いていたり……。日中ボーッとして頭の回転が鈍る。
今日は取材を受けていたのだが、どうにも的確な答えが出来ていなかったようで、ライターの方に申し訳ない。今夜は久々に睡眠導入剤をのむかなぁ。
posted by 山崎達璽 at 23:32| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月06日

『P.S.アイラブユー』

評判のいい『P.S.アイラブユー』を観る。うーん、今一つ。音楽の多用など細かい演出がしっくりこなくて最後まで乗り切れなかった。
posted by 山崎達璽 at 23:26| 映画レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

『ICHI』

張り切って『ICHI』を観に行く。眼目はもちろん綾瀬はるかだ。
うーん……うーん……
感想は「無」だ。『隠し砦の三悪人』の時と同じで何も思うことはない。綾瀬はるかを堪能したければ『僕の彼女はサイボーグ』を観ればいい。
posted by 山崎達璽 at 21:14| 映画レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月01日

映画祭の起源は縄文にある

20081101203114.jpgやっと眠りについたら客室の電話が鳴る。
「お食事の時間が終わってしまいますが」
「あっ、結構です」
朝食を抜くことはめったにない僕だがさすがに今朝はキャンセル。
まだまだ寝るぞと思ったら、今度は携帯が鳴る。スミマセン、パスします。
お昼頃、今度はスナックのママ・ももちゃんからメールが。はい、今夜も伺います!
なかなか眠りにつけないので、いい加減あきらめて蕎麦を食べにいく。
劇場に寄って映画祭のスタッフに会うと「朝までももちゃん」はすっかりみんなにバレていた。
18:30からパーティー。これは公式なレセプションだ。また着物で行こうか迷ったが、自分が主人公ではない場であまり目立つのは憚られるのでパス。立食パーティーだが、今一つ食欲が出ず。二日目とあって映画祭スタッフも増え、挨拶まわりに終始。
続いて毎年恒例「監督居酒屋」と呼ばれる馬肉のすき焼き屋に行く。4年前に味わって以来この味が忘れられなくて。昔ながらの味わい深い食堂で、監督たちと映画祭スタッフ、さらには一般の映画ファンも交えて舌鼓を打つ。この映画祭の醍醐味だ。
「監督たち」と言っても、作品が招待されている人だけでなく、後援している監督協会からも来るし、なんとなく遊びに来てる人もいる。よって誰かが「監督!」と呼ぶと監督みんなが一斉に振り返る。映画祭とは監督が表舞台に立てる場だ。監督冥利に尽きる。

地方映画祭はたいてい1回か2回で終わってしまう。それが11回と続いているのは本当にすごい。その秘訣は「祭り上手」にあると思うのだ。茅野、諏訪、岡谷などのこの地域には御柱祭りがある。そりゃ祭りを楽しむことには長けてるはずだ。もっと言えば、それは太古の昔から続いていると言えるかもしれない。この地区にある尖石などの縄文遺跡からは多くの土器・土偶が発掘されている。それらは祭祀に使ったものだ。そう、縄文の頃からの祭り上手。この映画祭の起源はそんな大昔にあると言ったらちょっとオーバーかな。

次は「おやじ」で飲み、行き着く先はももちゃんのスナックだ……
posted by 山崎達璽 at 23:51| 映画『宮城野』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ももちゃんとこで飲んで歌って

tateshina2.jpg上映が終わって、映画祭スタッフのみなさんとご飯を食べにいく。4年前のスタッフの人から「監督、相変わらず若いねぇ」なんて言われてついつい酒が進み、続けてももちゃんという色っぽいママがいるスナック「あれ」へ。まだまだ飲み続け、さらにカラオケで盛り上がり、気付いたら朝6:00。まだ初日なのに……
posted by 山崎達璽 at 06:56| 映画『宮城野』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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