2012年05月05日

『椿説弓張月』四演目について思う

今朝の産経新聞に今月の『椿説弓張月』について、染五郎丈が「祖​父が三島さんと作り上げた作品」と言っていますが、果たしてどう​なんでしょう?
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120505/ent12050507580008-n1.htm

初演時、出演俳優たちがたった数日の稽古の中、自分の引き出しだ​けで芝居を作り上げていく様に三島氏はひどく落胆したようなこと​を言っていたと聞きます。だからこそ氏は文楽上演を熱望していた​とか。

そして再演時は堂本正樹氏が『演劇界』の劇評でコテンパンに貶し​ています。
「フィナーレの『運天海浜宵宮の場』の幕切れの引っ張りの見得で​、(初演の)白鸚は弓を頭上一文字にかざし、手綱を絞った拳を胸​に持って来た。『橙々の見得』である。……折角白鸚が若い時発掘​した型が滅びるのは惜しいと、この幕切れに応用したのだ。すると​弓張月を兜の立て物にしたようで、独特の美しさだった。今回幸四​郎がこの型を踏襲しないのは、理解に苦しむ。
……この引っ込みが宙乗りでないのも、おかしい。当時は技術的に​実現出来なかったに過ぎず、『アラビヤン・ナイト』のルフ島でも​妥協した三島氏の夢が、可能となった今何故実行しないのか。猿之​助の後塵を拝するのは癪だでは、派閥意識である。この幕切れ程、​宙乗りの必然性のある場面はない」

滅びの美学のテーマを一貫させ、難解で破綻している全体像を分か​りやすく整理して筋を通し、さらに幕切れを宙乗りにした三演目は​いまだ僕の中で最高傑作です。


posted by 山崎達璽 at 09:58| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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