2012年06月11日

猿翁さんの人差し指が紅く染まってました〜澤瀉屋の襲名初日を振り返って〜

2012-06-11 15.22.37.jpg歓喜と涙の澤瀉屋襲名の初日が開いてから一週間が経とうとしています。夢見心地とでも申しましょうか、あれからテレビの録画を観たり新聞記事を読みあさったりとずっと浸ってきました。ようやくちょっとは冷静になってきたので、あの日のこと、とりわけ「口上」について振り返ってみたいと思います。

例の福山雅治さんが贈った祝い幕が引かれ、下座が流れ始めると、5分前だというのに大向こうが掛かり始めました。「おもだかや〜〜」とずいぶんゆったりたっぷり掛けてるんですね。

そして、開幕。待ちに待った瞬間でした。猿之助・中車・團子を中央に段四郎・藤十郎・秀太郎さんら15人が居並ぶ舞台は実に壮麗。前日の舞台稽古を観た人から、猿翁さんの登場のしかたはかなりユニークと聞いていたんですが、まずはお姿はなく、ちょっと心配に。“お体の調子が悪くお出にならないのでは?”なんて余計な心配をしてみたり。

猿三郎さんのブログのよると、この時、舞台に出ていない一門のすべての方々は始まりから舞台裏に控えていらっしゃるそうです。また、口上の出の前に中車さんが猿翁さんのところに「お願いいたします。お父さん、初めて一緒の舞台に立たせて頂きます」とのご挨拶に行かれていたそうです。後から知ってまた涙が……。

さて、口上は藤十郎さんから。初代猿翁さんと三代目段四郎さんの思い出話から始めるあたりはさすが。この公演がお二方の追善であるという筋をまず通すということでしょうか。懐から書面を出して読み上げるのは上方のやり方らしく、そこがとても味わい深かったです。
続いて、上手の段四郎→彌十郎→門之助→寿猿→竹三郎→秀太郎さんの口上があり、下手の右近→猿弥→春猿→笑三郎→笑也さんへと。長らく澤瀉屋を追っ掛けていた僕にとっては、この5名の口上がよどみなく溌剌としていてとても印象的でした。特に右近さんの晴れ晴れとした表情は胸に迫るものがありました。もう、最初の幕の『小栗栖の長兵衛』の中車さんとの立ち回りの時から涙腺が緩んでいましたから。

いよいよ猿之助さんの口上。あの流麗さはさすが。飄然としてて、甲高くて、早口で、サ行がちょっと舌っ足らず(笑)なところは伯父さんに似ていますが、四代目はもっと繊細で器用な感じがみなぎっていました。「また、この世を去ったお世話になった人々」にも御礼を申し上げるとありましたが、僕には澤村宗十郎さん、中村芝翫さん、戸部銀作先生、豊澤重松さんらが浮かんできました。

中車さんの口上は、歌舞伎独特の柔らかみとはまた別のものだったとは思いますが、もはや上手いとか下手とかそんな次元ではなかったです。張り詰めた緊張の中での悲痛なまでの魂の叫びだったとでも申しましょうか。あんな情熱的な口上はもう二度と観ることは出来ないはず。ほとばしる決意と覚悟は観てるこちらも汗と涙が溢れ、ハンカチを握っていました。

続けての團子さんは一服の清涼剤とでも言いましょうか。ホッとひと息(笑)。

そんな空気の中、藤十郎さんが「では、猿翁さんを呼びます。猿翁さん」と呼んだんですが、ここらへんから頭が真っ白になってしまってはっきりと記憶がないです。“ひょっとしてセリ上がって来るのか?”とのぞき見るために立ち上がりかけたような気がします。
と、下座が流れ後ろの襖が開いて、山台?(四角い台)の上に座った猿翁さんが登場。客席にはハッと息を詰める瞬間があり、すぐにワーッと歓声に変わり、まさに割れんばかりの拍手が巻き起こりました。その台が押されて、口上の列の真ん中に入ったわけですが、かぶりつきの僕には真正面。感動と涙で直視できなくなってしまい、ハンカチで嗚咽を抑えました。「すすり泣く声が聞こえた」と報道にありましたが、客席にいた実感としてはそんなものではなかったです。みんな嗚咽だったと思います。

そして猿翁さんの口上。
「市川猿翁でございます。いずれも様にも相変わらぬご贔屓のほどを、隅から隅までずずずいーと、乞い願い上げ奉りまする」 ※テレビのテロップや新聞はあまり正確ではなかったですね(苦笑)。

猿翁さんは昨年秋よりお痩せになり、言葉もさらに不自由になられていたと思います。
でも、目だけは違ったんです。口上の最後に三方礼(上手、下手、正面に頭を下げること)されたんですが、その目の鋭さ、恐いです。ある関係者から「体は不自由になっても頭は冴え渡っている」という話を聞きましたが、冴え渡っているどころか、ものすごい気を飛ばされてました。

それと、これは猿三郎さんのブログでも確認したんですが……正直、猿翁さんのお化粧があんまり綺麗じゃなかったんですね。お顔もそうですし、やせ細った両の手の白粉にもムラがありまして、“あれ?”と思ったんです。ただ、よく見ると右手の人差し指が紅く染まっていて、つまりご自分でお化粧をされているんです。
猿三郎さんのブログによると、「猿翁さんは早く舞台に立ちたくて待ち焦がれておられました。確かに御身体の不自由な部分は否めませんが決して無理に出演されている訳ではなく……(略)。出の寸前まで楽屋でハッキリ台詞を云う練習をされいる」とか。さらに「口上から引っ込んで来られるなり、『最後のご挨拶だけでは物足りないね!! 台詞、増やそうか?』などとますます前向きな発言をされました」そうです。

最後は藤十郎さんの「澤瀉屋一門、行く末長きご贔屓を賜りまするよう、隅から隅までずいーと乞い願い(一同になって)上げ奉りまする」で幕になりましたが、僕はしばらく動けませんでした。何をしていいかよく分からないという感動。こんなことはそうそう味わえるものではありません。
僕の永遠のヒーローはどこまでも永遠のヒーローでした。


○参考
市川猿三郎さんのブログ『二輪草紙』


posted by 山崎達璽 at 21:25| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月09日

『ヤマトタケル』のサントラ

2012-05-28 20.22.09.jpgスーパー歌舞伎の第一作『ヤマトタケル』は初演の際(86)、当時の税制上の都合から文化庁に「伝統芸能である」というお墨付きをもらう必要があり、特に音楽には非常に苦心したそうです。
長沢勝俊さんの作曲、日本音楽集団による和楽器の演奏で生まれたのがこのサントラ。右近・段治郎(現・月乃助)さんによる再々演の際には加藤和彦さんのオーケストレーションの新曲に変えられていましたが、今回は再び初演の形に戻っているとか。
久々にLPレコードを出してきて、懇意にしている優秀な“音屋さん”にリマスタリングしてもらいました。どの曲も世界観を的確に表していて、僕は圧倒的にこちらの方が好きです。もっと評価されてCD化されてもいいと思うんですが。
ちなみに加藤和彦さんによる『新・三国志』のサントラは大変な名盤。まさに今、聴き込んでいます。

posted by 山崎達璽 at 22:58| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

澤瀉屋襲名初日に立ち会えた慶び

2012-06-05 15.07.44.jpg待ちに待った澤瀉屋の襲名披露が始まりました。ただ今、夜の部の公演中ですが、今日の僕は昼の部だけです。というか、もう体力も涙腺ももたないです。

『小栗栖の長兵衛』の中車さんと右近さんの立ち回りで目がウルウル、『口上』の幕開きで涙がこぼれだし、最後の猿翁さんの登場では涙腺が決壊しました。もはやハンカチは涙を拭うためではなく、口から漏れる嗚咽を押さえるためのものでした。こんなことは人生で初めてです。
猿翁さんは昨年秋よりお痩せになり、言葉もさらに不自由になられていたと思います。でも、目だけは違うんです。口上の最後に上手下手、二階の上手下手、三階の上手下手と顔を向けられたんですが、その目の鋭さ、恐いです。ものすごい気を飛ばされてます。ヒーローはやはりヒーローでした。今はとてもそれ以上の言葉が出ません……。
幕間に知り合いの大向こうさんと話しましたが、やはり猿翁さんが登場した瞬間に声が出なくなったそうです。「神様が出てきたようなもんだよね」と。

最初の幕間の後、浜木綿子さんの姿をお見かけしました。恩讐の彼方に結ばれたこんなドラマを誰が想像できたでしょうか。これが現実の出来事なんですよね。
もう数時間経っているんですが、いまだ手が震えるし、涙が出ます。

posted by 山崎達璽 at 19:39| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

三代目市川猿之助、最後の日。

2012-06-04 18.13.41.jpg男の子はみんなヒーローに憧れます。10〜20代の僕のヒーローは、谷沢健一らの中日ドラゴンズの選手とBOØWY時代の氷室京介さんでした。そして10代からずっとアラフォーの現在まで、僕の永遠のヒーローはほかでもない三代目市川猿之助さんです。

昨年9月27日にあの衝撃の記者会見から8ヶ月ちょっと、いよいよ明日は澤瀉屋のクワトロ襲名の初日を迎えます。「三代目猿之助」の襲名は1963(昭和38)年5月3日で、今日2012(平成24)年6月4日はその最後の日でした。

思えば、僕が初めて猿之助さんを観たのは高校2年生、1991(平成3)年6月の中日劇場、スーパー歌舞伎『オグリ』の舞台でした。爾来、僕は歌舞伎の魅力に取り憑かれました。あの時、あの舞台を観ていなければ、歌舞伎はおろか伝統文化の素晴らしさを知ることもなかったでしょう。それに着物を着ようなんて思い立つことも間違いな​くなかったはずです。

1994(平成6)年に上京して、それからの東京での舞台はほぼ全部観ていると思います。忘れられない舞台はいっぱいあります。『義経千本桜』の三役完演、国立で昼夜ぶっ通した『四天王楓江戸粧』、一世一代の『伊達の十役』、スーパー歌舞伎の到達点『新・三国志』……文字通り枚挙にいとまがありません。

僕が最後に猿之助さんを観たのは、2004(平成16)年1月31日の茅ヶ崎文化会館、『一條大蔵譚』でした。前年の暮れに脳梗塞で倒れた後の復帰公演でしたが、この巡業を最後(2/24札幌)に舞台には立たれなくなってしまいました。結果的にあれが最後の舞台でした。

猿之助さんはいつも走り続けていました。反逆者・異端児・風雲児などいろいろと称されましたが、僕の中ではヒーローが一番ぴったりきます。創作活動だけでなく人生哲学も多大なる影響を受けたといっても過言ではありません。

三代目猿之助さん、これまで本当にありがとうございました。明日はかぶりつきでしかと見届けます。
着物を着はじめて4年ですが、これまで着物でお芝居を観ることは​避けてきました。畏れ多かったんですね。でも、明後日は勇気を振​り絞って着ていこうと思います。


posted by 山崎達璽 at 20:27| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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