2008年11月23日

『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』

11/13には新橋演舞場に「花形歌舞伎」を観に行ったが、今日は国立劇場の乱歩歌舞伎『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』を観に行く。
僕は江戸川乱歩が好きだ。大学3年生の時に『人間椅子』をモチーフにした『夢現坐乱事(ゆめうつついすのみだれごと)』という短編映画を撮ったぐらいである。それ以来、10年以上乱歩ワールドにどっぷり浸かっていると言ってもいい。その乱歩の大人向けの怪奇小説が歌舞伎になる。僕にとっては夢のような話だ。なんでもチケットが完売だとか。

さてさて、休憩を省くと2時間ちょい。非常にテンポがいい。確かに面白い要素はたっぷりあって楽しめた。が、どうも物足りない。それは何か? 乱歩を題材にするなら、やはりエログロナンセンスを求めてしまう。それがほとんどなく、いたって真面目に作られている感じがする。猥雑さをなくしてコツコツと筋を通そう通そうとしているのである。幕末の暗い世相を現代に投影しているのだが、幕切れに至ってはそれを演説してしまう。世を憂うことは洒落にして笑い飛ばして欲しかった。
そんなことをいうと、いつもの僕の主張である「原作と比しての論議の愚」に至ってしまうのだが、仮に乱歩原作をはずしてもこれは歌舞伎としていかがなものかと思う。荒唐無稽こそが歌舞伎のみずみずしいエネルギーではないだろうか。市川猿之助の復活狂言や三島由紀夫の擬古典調の新作歌舞伎『椿説弓張月』などにはそれが貫かれていた。新作と言えども歌舞伎の本来の持ち味が損なわれてしまってはそれは歌舞伎ではない。
終演後、「面白かったね〜」と言う声を多く耳にした。聞き耳を立てると、それは早替わりや宙乗りなどのケレンの要素だ。猿之助さんが舞台に立たなくなって久しい。猿之助さんはそれを実に巧みにやっていた。たぶんこの若いお客さんたちは猿之助歌舞伎を知らないのだろう。どこまでも“猿之助の不在”を痛感するお芝居だった。


posted by 山崎達璽 at 22:59| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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