2012年09月09日

「猿之助じじい」上等〜澤瀉屋襲名二月目の千秋楽のまとめ〜

DSCF0245.JPG気付いたら、澤瀉屋襲名の千秋楽から一ヶ月以上が経ってしまいました。Facebookではいろいろと書きましたが、ここにもまとめをしておきたいと思います。あくまで自分の備忘録のためですが(笑)。

結果として
<六月>
5(火)昼の部 1階1列19番(初日)
<七月>
4(水)夜の部 1階1列19番(初日)
22(日)夜の部 3階1列45番
29(日)昼の部 1階4列20番/夜の部 3階1列27番(千秋楽)
と、5公演、4日間演舞場に通いました。こんなに歌舞伎三昧な日々を過ごしたのは、三代目猿之助さんの『千本桜』三役完演か一世一代の『伊達の十役』以来でしょうか。

7/29(日)の大楽は覚悟の上の着物で昼夜通し。本当にきつかったけど、一生の思い出ですね。

『ヤマトタケル』は1995(平成7)年の三代目、2005(平成17)年の右近・段治郎(現・月乃助)さんWキャストを観ました。
ヤマトタケルの役は三代目の生き様や人生観や美意識が投影されています。そのものと言ってもいいかもしれません。だからまだ三代目の思い出と寄り添っていたくて、正直、観に行くか躊躇していました……が、やっぱり今度の四代目さんの初演、観て良かったと思います。三幕目が泣き所かもしれませんが、序幕から随所で涙が出ました。この研ぎ澄まされた演出に身を委ねることで三代目の存在を身近に感じるんですね。結局そうやっていまだ思い出と寄り添っているのでしょうか。「猿之助じじい」上等です(笑)。
3回ものカーテンコールにはしっかりと猿翁さんのお出ましがありました。猿翁さん、お茶目にも客席に投げキスをされていました。決して感涙にむせぶようなことはしないあの人らしいクールさ? お茶目さ? いや、照れ隠しでしょうか。

夜の部『楼門五三桐』について。
当初は初日だけのつもりでしたが、あまりの感動と、心のどこかにこれが猿翁さんの最後の舞台になるのではという思いもあり、無理を言って22日と千秋楽を追加してしまいました。
22日は、猿翁さんの台詞が初日より苦しいなあと思っていたところ、翌日は休演。四代目が代役を務めたが、さすがの彼も動揺を隠しきれなかったとか。段四郎さんに至っては台詞につまりそのまま絶句……。三代目襲名の『黒塚』の時、上演時間になると初代猿翁さんが病床から起き上がって念を送っていたという話がありますが、ホント及ばずながらですが、僕も二日目から毎日20:35になると歌舞伎好きだった曾祖母に手を合わせて舞台の無事を祈っていました。
と、23日の衝撃はかなりものでしたが、翌日には復帰。それからは連日無事の「ご出馬」でした。

いよいよ開幕。いつも20:35〜なのが、千秋楽は10分ほど押していました。
この日の海老蔵さんの五右衛門の気迫たるや、そりゃ凄まじいものがありました。目玉が落っこちてくるんじゃないかと心配になるほど。尊敬してやまない“澤瀉屋のおじさん”の復帰に応えようとする思い、輝くオーラに必死に挑もうとする思い、いずれも彼の純粋無垢なところが伝わってきて、非常に好感が持てました。
そして猿翁さんの真柴久吉の登場。家臣たちの「あれから指折り数うれば、八年ぶりの、御出馬なるか」との渡り台詞がなんとも乙です。今月三度目の猿翁さん、今日も光り輝いていました。ふだん“オーラがある”っていう表現はあまり使わないんですが、この猿翁さんばっかりはほかに言い表しようがありません。ただ「石川や〜」の台詞ですが、この日もやはり苦しかったです。幕切れの「石川五右衛門、さらば」はしっかりしていましたが、今思うとなんとも切ない思いに駆られます……。

幕切れの台詞ですが、台本では……
 五右 久吉、さらば。
だけなんですね。
ところが、実際の上演では……
 五右 真柴久吉、
 久吉 石川五右衛門、さらば、
 両人 さらば。

と変更されています。どういうプロセスがあったのか分かりませんが、ファンにとってはたまらねいですね。

カーテンコールは“5回? いや6回、7回はあった”とか各所で話題になりましたが、正直、回数は分からないです(笑)。
印象的だったのは、猿翁さんと海老蔵さんの握手。初日は「オレも出ていいの?」という感じで舞台に戻って終始緊張している様子でしたが、千秋楽はずっと猿翁さんの手を握っていました。猿翁さんが何度も「ありがとう」と声を掛けていて、さすがの海老蔵さんも泣いていましたね。
まだまだ続くカーテンコールではいろんなことがありました。昼に続けて猿翁さんの投げキス。笑也さんや猿弥さん、ほかの俳優さんもやっていました。四代目が花道から登場したり、21:00は過ぎてたはずなのに團子さんが舞台に登場したり(笑)、猿翁さんの後ろで、四代目と海老蔵さんがニヤニヤと話している姿は中高生男子の雰囲気でこちらも思わずニヤリ……。
そんな祝祭ムードのなか、思わずホロリとさせられたのは、終わりの方で、万雷の拍手を受けた猿翁さんがほぼお一人で立って舞台の面まで歩くお姿でした。定式幕が閉まるときにぶつかりそうで、慌てて彌十郎さんがカバーに入るというオチもあり(苦笑)。脳梗塞を患った人が歩いたり話したりするのがどれだけ大変なことか。死んだ祖父がそうでしたからよく分かります。祖父はリハビリを投げちゃいましたからね……。

涙々の六月初日、驚きの連続の七月初日、笑顔と喜びに満ちた大楽。久々の「猿之助の七月」は幕を閉じました。

品位を損なうことなく、
媚びることなく、
期待を裏切ることなく、
それ以上の喜びを与えてくれる。
それが澤瀉屋です。


posted by 山崎達璽 at 10:13| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月08日

値千金、万両万々両の祝祭幕〜澤瀉屋襲名二月目の初日を観て〜

2012-07-08 17.03.21.jpgだいぶ時間が経ってようやく冷静になってきたので、澤瀉屋襲名二月目の初日の『楼門五三桐』について書いてみようと思います。

『黒塚』が終わって20分の幕間。この時点で15分前後押していたと思います。トイレから戻って1階の正面扉から入ると客席後部のカメラの数が尋常じゃない。猿翁さんの復帰の注目度はやはりすごいです。
心を落ち着かせて、いよいよ開幕。前夜の通し稽古の後に「左枝利家 段四郎」の役が追加されていたので、一体どんな内容になるのかと思っていたんですが、定式幕が開くと、そこには浅黄幕ではなく山門の遠見の幕が。いつもの大薩摩もなく、花道から、彌十郎・門之助・右近・猿弥・月乃助・弘太郎さんが登場。久吉家臣たちの渡り台詞。すっかり興奮状態だったので正確に覚えていませんが、“久吉が8年間行方不明。各所で目撃情報がある”といったクスリとする内容。いきなりのご馳走の登場に客席は拍手喝采。
6人が本舞台上手に引っ込むと、浅黄幕になり、切って落とされると海老蔵さんの石川五右衛門が登場。期待通りのスケール感。お馴染みの「絶景かな 絶景かな」から鷹が飛んでくる件は、観てるこちらが猿翁さんを待ちわびてるからか、ダイジェスト版だったと思います。
そして久吉の家臣・右忠太と左忠太が五右衛門に絡むのですが、これが猿三郎・欣弥さんという澤瀉屋一門の名脇役。またまたご馳走。
そして山門がセリ上がり、前セリが上がりはじまるとこちらの緊張も頂点。もう、直視できなかった気がします。待ちに待った猿翁さんの登場。東京新聞の劇評に「光に包まれ猿翁がせり上がってからの輝かしさ。歌舞伎とは、役者の存在そのものをさらす芸能なのであった」とありましたが、その通り、猿翁さん、輝いてるんです。それが眩しくて眩しくて。“今度は泣くまい”と思っていましたが、無理でした。感涙にむせびました。あの時の客席の雰囲気、もう異様な空間でした。とても文字では表現できませんね。
「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」の台詞、非常にしっかりしてました。まったく衰えることないあの眼力の鋭さは圧巻です。
これはかぶりつきの特典ですが(笑)……「〜尽きまじ」の後に五右衛門の「何を!」が入るんですが、猿翁さんが「じゅん(巡)」とフライング。僕も焦りましたが、あの海老蔵さん、さすがに焦ってましたね(笑) 猿翁さんは体は不自由でも頭脳はしっかりされているので、思いに体がついていかないのかなとふと頭によぎりました。が、よくよく思い出すと、元々あの方の台詞は早間でせっかちなところがありましたから、そこは相変わらずなのかなと思うと、なんだかそれもまた大サービスの愛嬌だったのかもしれませんね。
と、その場にいた見物(と海老蔵さん)にはものすごい長い時間でしたが、後で映像を見るとほんの一瞬なんですね。猿翁さんはすぐに立て直して、五右衛門の台詞を待って改めて「巡礼に(見得)ご報謝〜!」。五右衛門との“天地の見得”もバッチリと極まってました。
まだまだご馳走は続きます。本舞台下手から先ほどの6人の家臣団が再登場、さらに段四郎さんの左枝利家、笑也・笑三郎・春猿さんの久吉の侍女たちも登場。段四郎さんの最初の台詞がちょっと怪しかったですが、これもまたご愛嬌。続いて一同の渡り台詞がありましたが、客席は拍手喝采だし、自分は嗚咽だし、まったく覚えていません(苦笑)。もちろん最後の猿翁さんの「石川五右衛門、さらば さらば」だけはしかと見、しかと聞きましたが。そして澤瀉屋一門に彌十郎さんと門之助さん、そこに海老蔵さんが加わった“絵面(引っ張り)の見得”となるわけですが、まさに豪華絢爛。格別です!!
万雷の拍手の中、定式幕。さなか、猿翁さんの「さらば」という台詞がどうにも哀しく感じてきてしまってまたまた涙。でも、歌舞伎の「さらば」は、時節が来るまでとか戦場での再会を約してるんですよね。後から出された猿翁さんのコメントには「創造者としての"挑戦"を続けてまいります」とありますし……。まだまだ猿翁さんとは会えるはずです。
ふと気付くと、客席はスタンディング・オベーション。でも僕は立てませんでした。後ろの人に悪いとか、日本の伝統にそぐわないとかそんなカッコつけた理由じゃなくて、もう立てないんです。体が震えてしまって。ただひたすらに拍手。
割れんばかりに拍手の中、カーテンコール。海老蔵さんが神妙な表情で猿翁さんと握手。彼が猿翁さんを敬愛してて憧れているというのは有名な話です。後見が中車さんだったというサプライズなんかはマスコミの報道の通りで、驚いたのなんの……。右近さんらみなさん泣いていらっしゃったそうですが、僕はただひたすらに猿翁さんを見つめていました。猿翁さん、時々ちょっと笑みを浮かべたりもされて、前月より表情が豊かになられたような気もしましたが、でもはやりクールでした。復帰だからといって感極まって泣いたりしないんですよね、あの方は。それもまた“らしいな”と。そういうところがまた好きなんですよね。男が惚れる男。
……たった10分ほどの一幕ながら思い出は尽きません。これでもかこれでもかというご馳走の連続、心憎い演出の畳みかけ、最後はとびきりのサプライズ。こんな祝祭幕を作り上げられる人はやっぱり稀代の名演出家でしょう。本人は舞台の中央でいたって涼しい顔をされてましたけど(^_^;)

最後に忘れてはならないこと。ポスターやチラシの『四、楼門五三桐』のメインタイトル右横には「戸部銀作補綴」のクレジットがありました。『四の切』の宙乗りの復活を提案され、その後の三代目のブレーンをされていた方です。僕は大学院の時にゼミを聴講させてもらってましたが、戸部先生が舞台の話をされる時はキラキラと輝く少年の目をされていました。鬼籍に入られて久しいですが、猿之助歌舞伎の礎を築かれた方です。戸部先生、客席のどこかで観てるんだろうなとそんな気配を感じました。

大してまとまりませんが、映画とは違って舞台は残らないですからね。もったいないです。





posted by 山崎達璽 at 17:30| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月11日

猿翁さんの人差し指が紅く染まってました〜澤瀉屋の襲名初日を振り返って〜

2012-06-11 15.22.37.jpg歓喜と涙の澤瀉屋襲名の初日が開いてから一週間が経とうとしています。夢見心地とでも申しましょうか、あれからテレビの録画を観たり新聞記事を読みあさったりとずっと浸ってきました。ようやくちょっとは冷静になってきたので、あの日のこと、とりわけ「口上」について振り返ってみたいと思います。

例の福山雅治さんが贈った祝い幕が引かれ、下座が流れ始めると、5分前だというのに大向こうが掛かり始めました。「おもだかや〜〜」とずいぶんゆったりたっぷり掛けてるんですね。

そして、開幕。待ちに待った瞬間でした。猿之助・中車・團子を中央に段四郎・藤十郎・秀太郎さんら15人が居並ぶ舞台は実に壮麗。前日の舞台稽古を観た人から、猿翁さんの登場のしかたはかなりユニークと聞いていたんですが、まずはお姿はなく、ちょっと心配に。“お体の調子が悪くお出にならないのでは?”なんて余計な心配をしてみたり。

猿三郎さんのブログのよると、この時、舞台に出ていない一門のすべての方々は始まりから舞台裏に控えていらっしゃるそうです。また、口上の出の前に中車さんが猿翁さんのところに「お願いいたします。お父さん、初めて一緒の舞台に立たせて頂きます」とのご挨拶に行かれていたそうです。後から知ってまた涙が……。

さて、口上は藤十郎さんから。初代猿翁さんと三代目段四郎さんの思い出話から始めるあたりはさすが。この公演がお二方の追善であるという筋をまず通すということでしょうか。懐から書面を出して読み上げるのは上方のやり方らしく、そこがとても味わい深かったです。
続いて、上手の段四郎→彌十郎→門之助→寿猿→竹三郎→秀太郎さんの口上があり、下手の右近→猿弥→春猿→笑三郎→笑也さんへと。長らく澤瀉屋を追っ掛けていた僕にとっては、この5名の口上がよどみなく溌剌としていてとても印象的でした。特に右近さんの晴れ晴れとした表情は胸に迫るものがありました。もう、最初の幕の『小栗栖の長兵衛』の中車さんとの立ち回りの時から涙腺が緩んでいましたから。

いよいよ猿之助さんの口上。あの流麗さはさすが。飄然としてて、甲高くて、早口で、サ行がちょっと舌っ足らず(笑)なところは伯父さんに似ていますが、四代目はもっと繊細で器用な感じがみなぎっていました。「また、この世を去ったお世話になった人々」にも御礼を申し上げるとありましたが、僕には澤村宗十郎さん、中村芝翫さん、戸部銀作先生、豊澤重松さんらが浮かんできました。

中車さんの口上は、歌舞伎独特の柔らかみとはまた別のものだったとは思いますが、もはや上手いとか下手とかそんな次元ではなかったです。張り詰めた緊張の中での悲痛なまでの魂の叫びだったとでも申しましょうか。あんな情熱的な口上はもう二度と観ることは出来ないはず。ほとばしる決意と覚悟は観てるこちらも汗と涙が溢れ、ハンカチを握っていました。

続けての團子さんは一服の清涼剤とでも言いましょうか。ホッとひと息(笑)。

そんな空気の中、藤十郎さんが「では、猿翁さんを呼びます。猿翁さん」と呼んだんですが、ここらへんから頭が真っ白になってしまってはっきりと記憶がないです。“ひょっとしてセリ上がって来るのか?”とのぞき見るために立ち上がりかけたような気がします。
と、下座が流れ後ろの襖が開いて、山台?(四角い台)の上に座った猿翁さんが登場。客席にはハッと息を詰める瞬間があり、すぐにワーッと歓声に変わり、まさに割れんばかりの拍手が巻き起こりました。その台が押されて、口上の列の真ん中に入ったわけですが、かぶりつきの僕には真正面。感動と涙で直視できなくなってしまい、ハンカチで嗚咽を抑えました。「すすり泣く声が聞こえた」と報道にありましたが、客席にいた実感としてはそんなものではなかったです。みんな嗚咽だったと思います。

そして猿翁さんの口上。
「市川猿翁でございます。いずれも様にも相変わらぬご贔屓のほどを、隅から隅までずずずいーと、乞い願い上げ奉りまする」 ※テレビのテロップや新聞はあまり正確ではなかったですね(苦笑)。

猿翁さんは昨年秋よりお痩せになり、言葉もさらに不自由になられていたと思います。
でも、目だけは違ったんです。口上の最後に三方礼(上手、下手、正面に頭を下げること)されたんですが、その目の鋭さ、恐いです。ある関係者から「体は不自由になっても頭は冴え渡っている」という話を聞きましたが、冴え渡っているどころか、ものすごい気を飛ばされてました。

それと、これは猿三郎さんのブログでも確認したんですが……正直、猿翁さんのお化粧があんまり綺麗じゃなかったんですね。お顔もそうですし、やせ細った両の手の白粉にもムラがありまして、“あれ?”と思ったんです。ただ、よく見ると右手の人差し指が紅く染まっていて、つまりご自分でお化粧をされているんです。
猿三郎さんのブログによると、「猿翁さんは早く舞台に立ちたくて待ち焦がれておられました。確かに御身体の不自由な部分は否めませんが決して無理に出演されている訳ではなく……(略)。出の寸前まで楽屋でハッキリ台詞を云う練習をされいる」とか。さらに「口上から引っ込んで来られるなり、『最後のご挨拶だけでは物足りないね!! 台詞、増やそうか?』などとますます前向きな発言をされました」そうです。

最後は藤十郎さんの「澤瀉屋一門、行く末長きご贔屓を賜りまするよう、隅から隅までずいーと乞い願い(一同になって)上げ奉りまする」で幕になりましたが、僕はしばらく動けませんでした。何をしていいかよく分からないという感動。こんなことはそうそう味わえるものではありません。
僕の永遠のヒーローはどこまでも永遠のヒーローでした。


○参考
市川猿三郎さんのブログ『二輪草紙』


posted by 山崎達璽 at 21:25| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

澤瀉屋襲名初日に立ち会えた慶び

2012-06-05 15.07.44.jpg待ちに待った澤瀉屋の襲名披露が始まりました。ただ今、夜の部の公演中ですが、今日の僕は昼の部だけです。というか、もう体力も涙腺ももたないです。

『小栗栖の長兵衛』の中車さんと右近さんの立ち回りで目がウルウル、『口上』の幕開きで涙がこぼれだし、最後の猿翁さんの登場では涙腺が決壊しました。もはやハンカチは涙を拭うためではなく、口から漏れる嗚咽を押さえるためのものでした。こんなことは人生で初めてです。
猿翁さんは昨年秋よりお痩せになり、言葉もさらに不自由になられていたと思います。でも、目だけは違うんです。口上の最後に上手下手、二階の上手下手、三階の上手下手と顔を向けられたんですが、その目の鋭さ、恐いです。ものすごい気を飛ばされてます。ヒーローはやはりヒーローでした。今はとてもそれ以上の言葉が出ません……。
幕間に知り合いの大向こうさんと話しましたが、やはり猿翁さんが登場した瞬間に声が出なくなったそうです。「神様が出てきたようなもんだよね」と。

最初の幕間の後、浜木綿子さんの姿をお見かけしました。恩讐の彼方に結ばれたこんなドラマを誰が想像できたでしょうか。これが現実の出来事なんですよね。
もう数時間経っているんですが、いまだ手が震えるし、涙が出ます。

posted by 山崎達璽 at 19:39| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

今年の初芝居〜新春浅草歌舞伎・第二部〜その二

※以下、俳優の敬称を略します。

続いて『黒手組曲輪立引』。これはずっと観たかった演目。亀治郎が文字通りの大車輪。粋でパロディーの面白さに富んだ傑作。
大の猿之助贔屓の僕にとっては、幕開きから亀治郎が猿之助に見えてならなかった。だいぶほっそりはしてるが、容子から口跡までありとあらゆるものが。それもそのはずだ。先輩に教えを請うた役をやるときは一度目は完全コピーするのがこの世界のお約束。血縁者だから似ているに決まっているはずだ。
亀治郎にとっては不本意だろうが、そこに猿之助を重ねる見物は僕だけではないはず。「それでいいのか」……芝居を楽しみつつもついつい自問自答を続けてしまった。やがて大詰を迎えて、待ってましたの水入り。あ〜たまらんこのワクワク。と、「ああ、それでいいんだ」という確信に至った。
僕らは今、芸が継承される瞬間を目撃しているのだ。ものすごく貴重な瞬間だ。次に亀治郎がこの役をやるときは完コピから離れて自分流が入るだろう。僕は間違いなくそれを観る。そして回を重ねるごとに亀治郎型になっていくはずだ。今日、亀治郎に猿之助を重ねた見物はその変遷をずっと目の当たりにするのだ。猿之助の至芸ともいうべき『四ノ切』だって『黒塚』だって最初は猿翁の完コピだっただろう。それが継承〜変遷〜完成されていったのだ。
これからしばらく澤潟屋の継承を追体験できるなんて、僕はなんて幸せなんだろう。
posted by 山崎達璽 at 00:11| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

今年の初芝居〜新春浅草歌舞伎・第二部〜その一

※以下、一部、俳優の敬称は略します。

ここ数年の初芝居は決まって浅草だ。

と、本棚の筋書きを調べてみたら、最初は1995(平成7)年の澤潟屋一門の若手による「義経千本桜・忠信編」だった。忠信はすべて右近。舞台機構上「四の切」の宙乗りはないが、「花矢倉」には横川禅司覚範実ハ能登守教経で猿之助が特別出演という何とも贅沢なご馳走。
しばらくブランクがあって、次は2001(平成13)年、亀治郎の弁天。またしばらく開けて、2005〜2008、2010〜2011年と連続して通っている。

さて、今日は春猿の素敵なご挨拶にはじまり、まずは『壺坂霊験記』。有名な演目ながら、僕は未見だった。愛之助・七之助の組み合わせがなかなかの熱演で、じんわりとくる感動作だった。愛之助はこういう柔らかい役も実にうまい。最後に軽妙に踊るところ、秀逸。

終わってすぐに愛之助さんの楽屋にご挨拶に行く。浅草公会堂の楽屋への通路は舞台下手の上空を通過する。下では水桶のスタンバイが始まっていて、ついじろじろ見てしまう。……思えば、愛之助さんに最初に会ったのは、2007(平成19)年のこの楽屋だ。あの時は上方の型の『すし屋』。挨拶もそこそこに「アホでしょ〜」と楽しげに権太の話をしてくれた。それから4年だ。
先客があってしばらく外で待つ。その間、素の春猿さん、亀治郎さん、七之助さんが横を通っていくものだから、歌舞伎ファンにはたまらない……。
いよいよ愛之助さん登場。大丈夫ですか?の問いかけに「もうすっかり。まぁ、インフルエンザですから」と苦笑い。続けて『宮城野<ディレクターズカット版>』の東京プレミア上映の話を。「お誕生日をお祝いして」と言ったら「あれ、国立の前の日かあ。また、僕、観れませんねぇ……」と寂しそう。そうそう、愛之助さん、残念ながらいまだスクリーンではご覧になってない。お見せしたい気持ちは山々なんですが……。それから『壺坂霊験記』について、「あれは完全に目をつぶっているんですか?」「薄目を開けていたら、フットライトが当たったときに、下から見たお客さんにはばれちゃうんで、完全に閉じているんですよ〜。怖って瞬間が結構あります」と。そして、例年、今年の予定を聞くことにしている。全部埋まっているのがおきまりの答えなのだが、今年は「ち〜ん、もう今年は終了〜」でした。ち〜んって(笑)。
posted by 山崎達璽 at 23:41| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

新春浅草歌舞伎第一部

新春浅草歌舞伎の第一部を観に行く。先週、愛之助さんが「是非昼にも来てください!」と言っていたように、さすがに『御浜御殿綱豊卿』の出来は素晴らしかった。2007(平成19)年の6月歌舞伎座(仁左衛門・染五郎・秀太郎)が初見なのだが、改めてこの新歌舞伎の緻密さやみなぎるパワーを体感した。

二回目の幕間に楽屋を訪ねる。「おっ、大先生!」と浴衣に着替えた愛之助さん。いつもは「先生」なのだが、今日はなぜか大が。人の往来が激しい楽屋前では少々恥ずかしい。イタリアの新聞に掲載された『宮城野』の評判に愛之助さんが絶賛されていたので、記事のコピーと訳を渡す。ニタッと微笑む表情はいつもの兄ちゃんだ。今度はご飯でも行きましょうと三月の再会を約す。
posted by 山崎達璽 at 21:06| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

初芝居

image/2010-01-15T22:46:371浅草公会堂に新春浅草歌舞伎の第二部を観に行く。久々の歌舞伎見物で今年の初芝居となった。今の座組になって10年目だという。
『奥州安達原・袖萩祭文』は1999(平成11)年12月の歌舞伎座(猿之助、段四郎、梅玉)、『悪太郎』は1996(平成8)年6月の中日劇場(段四郎、歌六、彌十郎)以来、いずれも久々に観る演目だ。そしていずれも澤潟屋に縁がある。夢中になって猿之助さんを追っ掛けたあの頃に思いを馳せてみたり……。

終演後に愛之助さんの楽屋を訪ねる。メールのやりとりはちょくちょくしているのだが、会うのは本当に久々だ。花形のオーラと気さくさは相変わらず。会った瞬間、パーッと周りの雰囲気を明るくしてくれる。フィレンツェのパンフレットなどをお渡しして映画祭の話などを少々。
帰りにお土産をいただく。秀太郎さんのときもそうだが、「そ」の一字が可愛らしい。松嶋屋のしきたりなのかな。
愛之助さん、今年も一年休みがないとか。

うーん、やはり第一部が観たい! 
posted by 山崎達璽 at 22:46| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

『毛剃』を拝見して……

久々に歌舞伎座に行き、幕見で『毛剃』を観る。東からは團十郎・菊之助、西からは藤十郎・秀太郎らが出演する、まさに東西合同、絶妙なバランスのいい舞台だった。
終わってからまずは秀太郎さんの楽屋に挨拶に。出番が終わった直後の役者はお風呂に入っているものであり、来客はお茶などいただきつつしばしお待ち申し上げる。この時間がなかなか楽しい。秀太郎さんは扇雀さんと同じ楽屋でお二方とも留守。付き人が入り口の方で控えめに待機している。胡蝶蘭の数々、鏡台のあたりの化粧道具や普段着のスーツなどをながめつつ、舞台の前後の歌舞伎役者の日常を想像してみたり……。そうこうしてるうちに秀太郎さんが戻ってくる。舞台同様でこの方が現れると場が明るくなる。こういうときの役者の第一声は「どうぞお楽にしてください」だ。場が場だけに僕は必ず正座をしているのだが、それにまず気を遣われるのだ。儀礼的なものだが、この一言が話しやすい雰囲気を作り出すのだ。しかし僕は正座が苦手だ。お寺の生まれなのにお恥ずかしい……。
いつも秀太郎さんは僕のような若輩者にもにこやかに、そして丁寧に話をしてくださる。『毛剃』から来月の『女殺油地獄』の話まで、実際に出演している役者による舞台解説というのは実に楽しい。そしてこんなに贅沢なことはない。
その後、やはり『毛剃』に出演中の義太夫三味線方の野澤松也さんの楽屋を訪ねる予定が秀太郎さんのところに長居をしてしまったため、お店で合流することに。松也さんとはawaiさんのイベントで出会いすっかり意気投合。一緒に創作浄瑠璃を手がける橘凛保さんらとともにお食事を。楽しい一夜だった。
posted by 山崎達璽 at 23:54| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

13年振りの『獨道中五十三驛』

image/2009-03-18T14:49:051新橋演舞場に『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』を観に行く。歌舞伎座での前回公演を観たのが1996(平成8)年7月、13年前だ。当時、大学3年生で、初めてのフィルム作品『夢現坐乱事―ゆめうつついすのみだれごと―』の準備に没頭していた記憶がある。確か松竹衣裳で打ち合わせをした後に歌舞伎座に行ったような。
猿之助十八番でも非常に人気の高い『獨道中五十三驛』は、初演が1981(昭和56)年7月で、今回が11演目。“猿之助の出ない猿之助歌舞伎の寂しさ”は毎度のこと。二幕目にコッテリとしたお芝居があるのだが、ここがどうにも退屈だった。猿之助さんが舞台上で奮闘していた13年前はそうは感じなかったのだが……。無い物ねだりをしてもしようがないし、もうそれについて語るのはやめよう。
序幕の化猫の宙乗り、二幕目の本水、大詰の十二役早替りというケレン三連発は相変わらず面白い。そこに至る盛り上げ方も上手いし、ケレンの技術も至芸の域。申し分ないと言っていい。

不景気な世の中、筋書きを買うかどうか迷ったが、これも一つの財産、1200(−歌舞伎会割引100)円を出して購入。
猿之助さんからこんなメッセージが寄せられていた。
「今回は『獨道中(ひとりたび)』ならぬ、『団体道中五十三驛』」
なるほど。さすが澤瀉屋。上手いことを言ってくれます。
posted by 山崎達璽 at 20:13| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

『愛と青春の宝塚』〜17年ぶりの再会

気になるタカラジェンヌがいた。最近退団した宙組トップ娘役の紫城るいである。ほかでもない、彼女は高校の2コ下の後輩だ。高校3年の終わりの春、浪人が決まった僕は演劇部の友人に誘われ公演記録ビデオを撮った。そのとき1年生ながらヒロインをやっていたのが彼女だった。
それから17年、今日久方ぶりの再会を果たすことができた。彼女の活躍はちょくちょく耳にしていたが、結局宝塚の舞台には足を運ばずじまい。先日、コマ劇場の『愛と青春の宝塚』にOGとして出演すると聞いて、これはチャンスだと思いさっそく事務所に連絡を取った。担当の方には本当に良くしてもらい、10列目のど真ん中の席をご招待いただいた。

『愛と青春の宝塚』はフジのドラマの舞台版である。女性キャストはすべて宝塚OGを起用していて、まさにオマージュであり入門編でもある。「オレ、宝塚いけるかも。いやいや、かなり好き」幕が開いて即座にそう感じた。歌舞伎の贔屓にとって、性が倒錯するこの世界はすっと入り込める。綺麗だし華やかだし、胸躍りっぱなしだ。
そしてコマ劇場の最後の公演である。生まれて初めて入ったのだが、これが実にいい味を出している。欲望渦巻く歌舞伎町に2000人のキャパ、3段の廻り舞台、迷路のような楽屋……戦後日本の復興の象徴そのものだ。
16:00から20:00ちょい前までの長丁場、とことん楽しませてもらった。終わってから楽屋を訪ねて、それからご飯を食べに行った。高校の思い出話に始まり宝塚時代の話などいろいろと盛り上がった。
やはり同じ高校の同期の友人に能楽師がいる。彼は長く宗家のもとで内弟子をしていて数年前に独立した。そのときいかに自分が浦島太郎になっていたかを痛感したそうだが、彼女もそれを味わったという。退団して2年、ようやく娑婆に馴染んできたそうだ。宝塚の10年間、どこまでも凝縮された日々を生きてきた。だから今は彼女にとって第二の人生なのだ。とてつもない人間的な大きさが飄々とした振る舞いからもズシリと伝わってくる。
紫城るいの第二の人生に乾杯!
posted by 山崎達璽 at 23:43| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』

11/13には新橋演舞場に「花形歌舞伎」を観に行ったが、今日は国立劇場の乱歩歌舞伎『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』を観に行く。
僕は江戸川乱歩が好きだ。大学3年生の時に『人間椅子』をモチーフにした『夢現坐乱事(ゆめうつついすのみだれごと)』という短編映画を撮ったぐらいである。それ以来、10年以上乱歩ワールドにどっぷり浸かっていると言ってもいい。その乱歩の大人向けの怪奇小説が歌舞伎になる。僕にとっては夢のような話だ。なんでもチケットが完売だとか。

さてさて、休憩を省くと2時間ちょい。非常にテンポがいい。確かに面白い要素はたっぷりあって楽しめた。が、どうも物足りない。それは何か? 乱歩を題材にするなら、やはりエログロナンセンスを求めてしまう。それがほとんどなく、いたって真面目に作られている感じがする。猥雑さをなくしてコツコツと筋を通そう通そうとしているのである。幕末の暗い世相を現代に投影しているのだが、幕切れに至ってはそれを演説してしまう。世を憂うことは洒落にして笑い飛ばして欲しかった。
そんなことをいうと、いつもの僕の主張である「原作と比しての論議の愚」に至ってしまうのだが、仮に乱歩原作をはずしてもこれは歌舞伎としていかがなものかと思う。荒唐無稽こそが歌舞伎のみずみずしいエネルギーではないだろうか。市川猿之助の復活狂言や三島由紀夫の擬古典調の新作歌舞伎『椿説弓張月』などにはそれが貫かれていた。新作と言えども歌舞伎の本来の持ち味が損なわれてしまってはそれは歌舞伎ではない。
終演後、「面白かったね〜」と言う声を多く耳にした。聞き耳を立てると、それは早替わりや宙乗りなどのケレンの要素だ。猿之助さんが舞台に立たなくなって久しい。猿之助さんはそれを実に巧みにやっていた。たぶんこの若いお客さんたちは猿之助歌舞伎を知らないのだろう。どこまでも“猿之助の不在”を痛感するお芝居だった。
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2008年08月25日

新派『紙屋治兵衛』

三越劇場の花形新派公演『紙屋治兵衛』を観に行く。愛之助さんを主演に迎えたこの舞台、初日から評判が上々である。
「近松浄瑠璃『心中天網島』より」と角書にあるように、近松戯曲をベースにしつつも北條秀司によるオリジナル新派作品である。これまで文楽、歌舞伎、映画、新劇とあらゆるヴァージョンで観てきた。結末の治兵衛と小春の心中までどうストーリーが展開していくのか、非常にドキドキしながら楽しんだ。この新派ヴァージョンはなかなかの傑作だと思う。そうだよなあ、男ってダメだよなとちょっと凹んでみたり。
終演後、愛之助さんの楽屋を訪ねる。難しかったのは関西弁だとか。新派は東京がホームグラウンド。名古屋出身の僕には関西らしさは充分出ていたと思ったのだが、大阪人に言わせると「どこか歯がゆい」らしい。
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2008年07月30日

七月大歌舞伎夜の部

歌舞伎座に泉鏡花の二作品を観に行く。
まずは『夜叉ヶ池』。春猿さんの贔屓の僕としては、百合と白雪姫を二役で演じた一昨年の方が良かったかな(今回の白雪姫は笑三郎さん)。これはあくまで趣味の問題。人間界と魔界のお話は宮崎駿ワールドに通じるかも。一緒に行った酒井君は「非常に平たく言えばポニョみたいなお話」だと。
続いて『高野聖』。海老玉の共演が魅力的。女の魔性と聖性がテーマなのだが、これはなかなか難しい。
やはり三階B席ではダメだ。外は猛暑、中はエアコンガンガン。客電がずっと落ちていて、それでいて舞台はかなり暗い照明。これでは睡魔に襲われ襲われ……。今度はちゃんといい席で観よう。
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2008年07月02日

『混じりあうこと、消えること』

國村隼さんの事務所にご招待いただいて、新国立劇場に『混じりあうこと、消えること』を観に行く。
出演はほかに橋爪遼、南果歩、初音映莉子。演出は白井晃。
一見シンプルな作品で表面的には笑いを散りばめているが、かなり切ないお話。難解とも言えるかな。楽屋にお邪魔したら國村さん自身も「そろそろ中日ですが、まだ模索中です」と。
入り口で渡辺謙さんを目撃。うろうろしている謙さんをガン見。ほっそりしていて背が高い。めちゃめちゃ格好いいわ。楽屋では父娘でいる姿を再びガン見してしまった。
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2008年06月25日

新派『鹿鳴館』

20080629171836.jpg先週に続けて、新橋演舞場に新派公演夜の部『鹿鳴館』を観に行く。
さすがは三島先生の傑作戯曲である。ズシリと見応えのある全4幕である。先週『婦系図』で感じた女優の違和感はあまりなかった。こちらはすっと世界観に入っていけた。影山伯爵の嫉妬にはじまってスリリングな展開へ。最後は三島先生が戦後の民主主義に警鐘を鳴らした名言が如く豊穣な台詞の渦になる。天晴れ、三島戯曲!
今日のカーテンコールのゲストは愛之助さんである。それもあったので今日のチケットを買った。林与一さんとの登場であるが、ホントに挨拶だけ。これを目当てにしたファンはがっかりだろう。ちょっとこのイヴェントはどうかと思う。
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2008年06月18日

新派『婦系図』

新橋演舞場に新派公演昼の部『婦系図』を観に行く。
新派を初めて劇場で観た。歌舞伎=「旧」劇に対して、「新」派というのだが、下座が入るし拍子木も入る。僕の目には女優の出る新歌舞伎にみえた。『婦系図』と言えば泉鏡花の名作だが、「六幕十場」はどうにも冗漫で睡魔に襲われ続けた。歌舞伎の通し狂言となると、たいていはかったるいところをカットしてテンポアップを図っているので、リズムよく展開するのだが、これはそこがどうにも……。
そして歌舞伎風なものに「女優」がどうにもしっくり来ない。波乃久里子も二代目水谷八重子もそりゃ素晴らしい。台詞だって所作だって申し分ない。それでも歌舞伎好きな僕には生々しくって仕方がない。よぼよぼのおじいちゃんが娘役をやっても、歌舞伎の理想化・デフォルメされた女性像(=女形)ではそれが成立するのだ。しかし女形を女優がやってしまうと奇妙にみえてしまってしようがない。主なるところでは唯一だった英太郎の女形が一番しっくりみえた。
来週、夜の部の『鹿鳴館』に行く。いい評判を聞かないので心配だ。
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2008年01月25日

『雷神不動北山櫻』

新橋演舞場の『雷神不動北山櫻』を観に行く。20日のチケットを取ってあったのだが編集作業のため断念。悔しくて悔しくてやりきれないので、やや強引な手法でチケットを入手した。右の壁面側の三階席で、かなりの苦痛を強いられる席だがそれもまた致し方なし。 
久々に復活した通し狂言を観た。猿之助さんに勉強させてもらったので、こういう大河ロマンは楽しい。 
海老蔵は大車輪。どうしても口跡に難はあるが、この人の持つオーラは凄まじい。これはさずかに努力で会得できるものではないだろう。『毛抜』『鳴神』の十八番ものの場面は、通し狂言の宿命でかなりカットされている。荒事のバカバカしさが多少薄まっていて口寂しい。 
大詰の『不動』は照明が突然現代的になり、イリュージョンばりの宙吊りになる。ここが唐突。転換はせめて大薩摩単独にすれば良かったのに。 
原作を詳しく知らないのだが、全編時代というのも疲れる。踊りか世話場も欲しい。例えば『伊達の十役』など猿之助さんはそういうバランス感覚はさすがだった。 
総じてワクワクしたお芝居であったことは間違いなく、無理をして観に行った甲斐があった。
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2007年04月02日

7年ぶりの大阪

明日は約7年ぶりに大阪松竹座に行く。目的は『夏祭浪花鑑』、愛之助さんの団七である。正月の浅草の権太があまりに素晴らしくて。『夏祭』は勘三郎さんで2回、猿之助さんで1回観ているのだが、実に魅力的な芝居だ。今度は上方役者による上方芝居、そして愛之助さんの初役とくれば、行かなきゃ一生後悔するでしょう。 
今夜は寝られないだろうなあ。
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2007年01月16日

上方の権太

「新春浅草歌舞伎」の第1部を観に行く。眼目は上方の型の『義経千本桜・すし屋』である。片岡仁左衛門さんの監修で、権太を片岡愛之助さんが勤める。僕は『すし屋』は何度も観ているのだが、上方の型は観たことがない。江戸の型はただひたすらに粋で、上方は野暮ったくだそうだ。 
愛之助さんが実に素晴らしい。終演後に楽屋でお会いしたのだが、にこやかに「アホでしょぅ」と。確かに、上方の権太はアホだ。でもだからこそ、泣かせるのだ。人間の情愛が深く深く伝わってくる。 
初芝居、大変結構な一幕を観せていただいた。
posted by 山崎達璽 at 00:00| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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