2006年05月21日

『ダ・ヴィンチ・コード』で思ったこと。

詳細は略すが、「キリストには実は子どもがいた」というのがこの映画のモチーフである。キリスト教における正統と異端の問題が大きなテーマである。一つの宗教の偉大な開祖亡き後、概して問題が生じる。それは後継者と教義に集約されると言っていい。開祖の没後に、弟子たちはそれぞれの派閥を作り始めるから教義が分かれる。そして、もっとも信者を獲得した一派が正統となって、他は吸収されるか異端として排斥されるものだ。 
 
この映画を宗教における一般論で考えていくとこうなるのだが、ふと正月に読んだ梅原猛先生の『親鸞の告白』を思い出した。 
堂々と肉食妻帯をした親鸞はもともと教団を作る意志はなかった。「寺」すら作らず、門徒が集まるところを「道場」と呼んだぐらいだ。宗教者というより素朴に生きた哲学者というのが適切かもしれない。 
しかし親鸞亡き後、やはり後継者と教義の継承に問題が起きる。初めの頃は、親鸞の血統よりも法統(直弟子の系譜)が力を持つ。その後、だんだんと親鸞の血を引く一族が勢力を拡大して、蓮如の頃には国家を揺るがす一大教団(本願寺)へと発展していく。 
 
教義については、親鸞の説いた教えとその後の教団の説くそれとは別のモノと解釈した方が自然である。 
そして後継者であるが、結果として正統となった本願寺の一族は親鸞の血を引く子孫とされている。法統と血統が一致することによってその聖性は絶対的なものになるのだが、実はこの血統はちょっと怪しい。 
親鸞の末娘・覚信の子ども・覚恵の子孫なのである。夫は親鸞と同じ日野氏出身の広綱であるが、これが養子というわけではない。だから父系が基盤となっている日本の社会ではちょっと弱い。 
さらに、母系とはいえ親鸞の尊き血を引いてることも「?」があると梅原先生は指摘する。伝記では覚信は16歳で覚恵を生んだことになっていて、日野広綱の連れ子ではないかとも考えられるのだ。 
そして親鸞とその妻・恵信尼の長男・善鸞の子孫もちゃんと存在している。茨城県の大洗の願入寺の歴代である。ここの現在の住職が「親鸞直系の子孫」をキャッチフレーズにして参議院だかの選挙に出たことがあった。 
 
と、いろいろと書き出すときりがないが、これは日本の『ダ・ヴィンチ・コード』になるかもと思ってみたり。 
posted by 山崎達璽 at 00:00| 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

心に残る一冊

060106.jpg年末に書店でふと手にした、梅原猛先生の『親鸞の告白』。梅原先生の親鸞に関する著作をまとめた、新刊の文庫本である。ずしりと読み応えのある本なので、じっくり味わった。梅原先生は親鸞を尊敬しているが、宗門の内部の人間ではない。だからこそ言える宗門にとっては危険な発言も多々あるのだが、宗門の内部に近い僕にとっては目から鱗が落ちる思いだった。長年の疑問が綺麗に解けた。心の残る一冊である。
posted by 山崎達璽 at 00:00| 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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