2012年07月08日

値千金、万両万々両の祝祭幕〜澤瀉屋襲名二月目の初日を観て〜

2012-07-08 17.03.21.jpgだいぶ時間が経ってようやく冷静になってきたので、澤瀉屋襲名二月目の初日の『楼門五三桐』について書いてみようと思います。

『黒塚』が終わって20分の幕間。この時点で15分前後押していたと思います。トイレから戻って1階の正面扉から入ると客席後部のカメラの数が尋常じゃない。猿翁さんの復帰の注目度はやはりすごいです。
心を落ち着かせて、いよいよ開幕。前夜の通し稽古の後に「左枝利家 段四郎」の役が追加されていたので、一体どんな内容になるのかと思っていたんですが、定式幕が開くと、そこには浅黄幕ではなく山門の遠見の幕が。いつもの大薩摩もなく、花道から、彌十郎・門之助・右近・猿弥・月乃助・弘太郎さんが登場。久吉家臣たちの渡り台詞。すっかり興奮状態だったので正確に覚えていませんが、“久吉が8年間行方不明。各所で目撃情報がある”といったクスリとする内容。いきなりのご馳走の登場に客席は拍手喝采。
6人が本舞台上手に引っ込むと、浅黄幕になり、切って落とされると海老蔵さんの石川五右衛門が登場。期待通りのスケール感。お馴染みの「絶景かな 絶景かな」から鷹が飛んでくる件は、観てるこちらが猿翁さんを待ちわびてるからか、ダイジェスト版だったと思います。
そして久吉の家臣・右忠太と左忠太が五右衛門に絡むのですが、これが猿三郎・欣弥さんという澤瀉屋一門の名脇役。またまたご馳走。
そして山門がセリ上がり、前セリが上がりはじまるとこちらの緊張も頂点。もう、直視できなかった気がします。待ちに待った猿翁さんの登場。東京新聞の劇評に「光に包まれ猿翁がせり上がってからの輝かしさ。歌舞伎とは、役者の存在そのものをさらす芸能なのであった」とありましたが、その通り、猿翁さん、輝いてるんです。それが眩しくて眩しくて。“今度は泣くまい”と思っていましたが、無理でした。感涙にむせびました。あの時の客席の雰囲気、もう異様な空間でした。とても文字では表現できませんね。
「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」の台詞、非常にしっかりしてました。まったく衰えることないあの眼力の鋭さは圧巻です。
これはかぶりつきの特典ですが(笑)……「〜尽きまじ」の後に五右衛門の「何を!」が入るんですが、猿翁さんが「じゅん(巡)」とフライング。僕も焦りましたが、あの海老蔵さん、さすがに焦ってましたね(笑) 猿翁さんは体は不自由でも頭脳はしっかりされているので、思いに体がついていかないのかなとふと頭によぎりました。が、よくよく思い出すと、元々あの方の台詞は早間でせっかちなところがありましたから、そこは相変わらずなのかなと思うと、なんだかそれもまた大サービスの愛嬌だったのかもしれませんね。
と、その場にいた見物(と海老蔵さん)にはものすごい長い時間でしたが、後で映像を見るとほんの一瞬なんですね。猿翁さんはすぐに立て直して、五右衛門の台詞を待って改めて「巡礼に(見得)ご報謝〜!」。五右衛門との“天地の見得”もバッチリと極まってました。
まだまだご馳走は続きます。本舞台下手から先ほどの6人の家臣団が再登場、さらに段四郎さんの左枝利家、笑也・笑三郎・春猿さんの久吉の侍女たちも登場。段四郎さんの最初の台詞がちょっと怪しかったですが、これもまたご愛嬌。続いて一同の渡り台詞がありましたが、客席は拍手喝采だし、自分は嗚咽だし、まったく覚えていません(苦笑)。もちろん最後の猿翁さんの「石川五右衛門、さらば さらば」だけはしかと見、しかと聞きましたが。そして澤瀉屋一門に彌十郎さんと門之助さん、そこに海老蔵さんが加わった“絵面(引っ張り)の見得”となるわけですが、まさに豪華絢爛。格別です!!
万雷の拍手の中、定式幕。さなか、猿翁さんの「さらば」という台詞がどうにも哀しく感じてきてしまってまたまた涙。でも、歌舞伎の「さらば」は、時節が来るまでとか戦場での再会を約してるんですよね。後から出された猿翁さんのコメントには「創造者としての"挑戦"を続けてまいります」とありますし……。まだまだ猿翁さんとは会えるはずです。
ふと気付くと、客席はスタンディング・オベーション。でも僕は立てませんでした。後ろの人に悪いとか、日本の伝統にそぐわないとかそんなカッコつけた理由じゃなくて、もう立てないんです。体が震えてしまって。ただひたすらに拍手。
割れんばかりに拍手の中、カーテンコール。海老蔵さんが神妙な表情で猿翁さんと握手。彼が猿翁さんを敬愛してて憧れているというのは有名な話です。後見が中車さんだったというサプライズなんかはマスコミの報道の通りで、驚いたのなんの……。右近さんらみなさん泣いていらっしゃったそうですが、僕はただひたすらに猿翁さんを見つめていました。猿翁さん、時々ちょっと笑みを浮かべたりもされて、前月より表情が豊かになられたような気もしましたが、でもはやりクールでした。復帰だからといって感極まって泣いたりしないんですよね、あの方は。それもまた“らしいな”と。そういうところがまた好きなんですよね。男が惚れる男。
……たった10分ほどの一幕ながら思い出は尽きません。これでもかこれでもかというご馳走の連続、心憎い演出の畳みかけ、最後はとびきりのサプライズ。こんな祝祭幕を作り上げられる人はやっぱり稀代の名演出家でしょう。本人は舞台の中央でいたって涼しい顔をされてましたけど(^_^;)

最後に忘れてはならないこと。ポスターやチラシの『四、楼門五三桐』のメインタイトル右横には「戸部銀作補綴」のクレジットがありました。『四の切』の宙乗りの復活を提案され、その後の三代目のブレーンをされていた方です。僕は大学院の時にゼミを聴講させてもらってましたが、戸部先生が舞台の話をされる時はキラキラと輝く少年の目をされていました。鬼籍に入られて久しいですが、猿之助歌舞伎の礎を築かれた方です。戸部先生、客席のどこかで観てるんだろうなとそんな気配を感じました。

大してまとまりませんが、映画とは違って舞台は残らないですからね。もったいないです。





posted by 山崎達璽 at 17:30| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月11日

猿翁さんの人差し指が紅く染まってました〜澤瀉屋の襲名初日を振り返って〜

2012-06-11 15.22.37.jpg歓喜と涙の澤瀉屋襲名の初日が開いてから一週間が経とうとしています。夢見心地とでも申しましょうか、あれからテレビの録画を観たり新聞記事を読みあさったりとずっと浸ってきました。ようやくちょっとは冷静になってきたので、あの日のこと、とりわけ「口上」について振り返ってみたいと思います。

例の福山雅治さんが贈った祝い幕が引かれ、下座が流れ始めると、5分前だというのに大向こうが掛かり始めました。「おもだかや〜〜」とずいぶんゆったりたっぷり掛けてるんですね。

そして、開幕。待ちに待った瞬間でした。猿之助・中車・團子を中央に段四郎・藤十郎・秀太郎さんら15人が居並ぶ舞台は実に壮麗。前日の舞台稽古を観た人から、猿翁さんの登場のしかたはかなりユニークと聞いていたんですが、まずはお姿はなく、ちょっと心配に。“お体の調子が悪くお出にならないのでは?”なんて余計な心配をしてみたり。

猿三郎さんのブログのよると、この時、舞台に出ていない一門のすべての方々は始まりから舞台裏に控えていらっしゃるそうです。また、口上の出の前に中車さんが猿翁さんのところに「お願いいたします。お父さん、初めて一緒の舞台に立たせて頂きます」とのご挨拶に行かれていたそうです。後から知ってまた涙が……。

さて、口上は藤十郎さんから。初代猿翁さんと三代目段四郎さんの思い出話から始めるあたりはさすが。この公演がお二方の追善であるという筋をまず通すということでしょうか。懐から書面を出して読み上げるのは上方のやり方らしく、そこがとても味わい深かったです。
続いて、上手の段四郎→彌十郎→門之助→寿猿→竹三郎→秀太郎さんの口上があり、下手の右近→猿弥→春猿→笑三郎→笑也さんへと。長らく澤瀉屋を追っ掛けていた僕にとっては、この5名の口上がよどみなく溌剌としていてとても印象的でした。特に右近さんの晴れ晴れとした表情は胸に迫るものがありました。もう、最初の幕の『小栗栖の長兵衛』の中車さんとの立ち回りの時から涙腺が緩んでいましたから。

いよいよ猿之助さんの口上。あの流麗さはさすが。飄然としてて、甲高くて、早口で、サ行がちょっと舌っ足らず(笑)なところは伯父さんに似ていますが、四代目はもっと繊細で器用な感じがみなぎっていました。「また、この世を去ったお世話になった人々」にも御礼を申し上げるとありましたが、僕には澤村宗十郎さん、中村芝翫さん、戸部銀作先生、豊澤重松さんらが浮かんできました。

中車さんの口上は、歌舞伎独特の柔らかみとはまた別のものだったとは思いますが、もはや上手いとか下手とかそんな次元ではなかったです。張り詰めた緊張の中での悲痛なまでの魂の叫びだったとでも申しましょうか。あんな情熱的な口上はもう二度と観ることは出来ないはず。ほとばしる決意と覚悟は観てるこちらも汗と涙が溢れ、ハンカチを握っていました。

続けての團子さんは一服の清涼剤とでも言いましょうか。ホッとひと息(笑)。

そんな空気の中、藤十郎さんが「では、猿翁さんを呼びます。猿翁さん」と呼んだんですが、ここらへんから頭が真っ白になってしまってはっきりと記憶がないです。“ひょっとしてセリ上がって来るのか?”とのぞき見るために立ち上がりかけたような気がします。
と、下座が流れ後ろの襖が開いて、山台?(四角い台)の上に座った猿翁さんが登場。客席にはハッと息を詰める瞬間があり、すぐにワーッと歓声に変わり、まさに割れんばかりの拍手が巻き起こりました。その台が押されて、口上の列の真ん中に入ったわけですが、かぶりつきの僕には真正面。感動と涙で直視できなくなってしまい、ハンカチで嗚咽を抑えました。「すすり泣く声が聞こえた」と報道にありましたが、客席にいた実感としてはそんなものではなかったです。みんな嗚咽だったと思います。

そして猿翁さんの口上。
「市川猿翁でございます。いずれも様にも相変わらぬご贔屓のほどを、隅から隅までずずずいーと、乞い願い上げ奉りまする」 ※テレビのテロップや新聞はあまり正確ではなかったですね(苦笑)。

猿翁さんは昨年秋よりお痩せになり、言葉もさらに不自由になられていたと思います。
でも、目だけは違ったんです。口上の最後に三方礼(上手、下手、正面に頭を下げること)されたんですが、その目の鋭さ、恐いです。ある関係者から「体は不自由になっても頭は冴え渡っている」という話を聞きましたが、冴え渡っているどころか、ものすごい気を飛ばされてました。

それと、これは猿三郎さんのブログでも確認したんですが……正直、猿翁さんのお化粧があんまり綺麗じゃなかったんですね。お顔もそうですし、やせ細った両の手の白粉にもムラがありまして、“あれ?”と思ったんです。ただ、よく見ると右手の人差し指が紅く染まっていて、つまりご自分でお化粧をされているんです。
猿三郎さんのブログによると、「猿翁さんは早く舞台に立ちたくて待ち焦がれておられました。確かに御身体の不自由な部分は否めませんが決して無理に出演されている訳ではなく……(略)。出の寸前まで楽屋でハッキリ台詞を云う練習をされいる」とか。さらに「口上から引っ込んで来られるなり、『最後のご挨拶だけでは物足りないね!! 台詞、増やそうか?』などとますます前向きな発言をされました」そうです。

最後は藤十郎さんの「澤瀉屋一門、行く末長きご贔屓を賜りまするよう、隅から隅までずいーと乞い願い(一同になって)上げ奉りまする」で幕になりましたが、僕はしばらく動けませんでした。何をしていいかよく分からないという感動。こんなことはそうそう味わえるものではありません。
僕の永遠のヒーローはどこまでも永遠のヒーローでした。


○参考
市川猿三郎さんのブログ『二輪草紙』


posted by 山崎達璽 at 21:25| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月09日

『ヤマトタケル』のサントラ

2012-05-28 20.22.09.jpgスーパー歌舞伎の第一作『ヤマトタケル』は初演の際(86)、当時の税制上の都合から文化庁に「伝統芸能である」というお墨付きをもらう必要があり、特に音楽には非常に苦心したそうです。
長沢勝俊さんの作曲、日本音楽集団による和楽器の演奏で生まれたのがこのサントラ。右近・段治郎(現・月乃助)さんによる再々演の際には加藤和彦さんのオーケストレーションの新曲に変えられていましたが、今回は再び初演の形に戻っているとか。
久々にLPレコードを出してきて、懇意にしている優秀な“音屋さん”にリマスタリングしてもらいました。どの曲も世界観を的確に表していて、僕は圧倒的にこちらの方が好きです。もっと評価されてCD化されてもいいと思うんですが。
ちなみに加藤和彦さんによる『新・三国志』のサントラは大変な名盤。まさに今、聴き込んでいます。

posted by 山崎達璽 at 22:58| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

澤瀉屋襲名初日に立ち会えた慶び

2012-06-05 15.07.44.jpg待ちに待った澤瀉屋の襲名披露が始まりました。ただ今、夜の部の公演中ですが、今日の僕は昼の部だけです。というか、もう体力も涙腺ももたないです。

『小栗栖の長兵衛』の中車さんと右近さんの立ち回りで目がウルウル、『口上』の幕開きで涙がこぼれだし、最後の猿翁さんの登場では涙腺が決壊しました。もはやハンカチは涙を拭うためではなく、口から漏れる嗚咽を押さえるためのものでした。こんなことは人生で初めてです。
猿翁さんは昨年秋よりお痩せになり、言葉もさらに不自由になられていたと思います。でも、目だけは違うんです。口上の最後に上手下手、二階の上手下手、三階の上手下手と顔を向けられたんですが、その目の鋭さ、恐いです。ものすごい気を飛ばされてます。ヒーローはやはりヒーローでした。今はとてもそれ以上の言葉が出ません……。
幕間に知り合いの大向こうさんと話しましたが、やはり猿翁さんが登場した瞬間に声が出なくなったそうです。「神様が出てきたようなもんだよね」と。

最初の幕間の後、浜木綿子さんの姿をお見かけしました。恩讐の彼方に結ばれたこんなドラマを誰が想像できたでしょうか。これが現実の出来事なんですよね。
もう数時間経っているんですが、いまだ手が震えるし、涙が出ます。

posted by 山崎達璽 at 19:39| 観劇記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

三代目市川猿之助、最後の日。

2012-06-04 18.13.41.jpg男の子はみんなヒーローに憧れます。10〜20代の僕のヒーローは、谷沢健一らの中日ドラゴンズの選手とBOØWY時代の氷室京介さんでした。そして10代からずっとアラフォーの現在まで、僕の永遠のヒーローはほかでもない三代目市川猿之助さんです。

昨年9月27日にあの衝撃の記者会見から8ヶ月ちょっと、いよいよ明日は澤瀉屋のクワトロ襲名の初日を迎えます。「三代目猿之助」の襲名は1963(昭和38)年5月3日で、今日2012(平成24)年6月4日はその最後の日でした。

思えば、僕が初めて猿之助さんを観たのは高校2年生、1991(平成3)年6月の中日劇場、スーパー歌舞伎『オグリ』の舞台でした。爾来、僕は歌舞伎の魅力に取り憑かれました。あの時、あの舞台を観ていなければ、歌舞伎はおろか伝統文化の素晴らしさを知ることもなかったでしょう。それに着物を着ようなんて思い立つことも間違いな​くなかったはずです。

1994(平成6)年に上京して、それからの東京での舞台はほぼ全部観ていると思います。忘れられない舞台はいっぱいあります。『義経千本桜』の三役完演、国立で昼夜ぶっ通した『四天王楓江戸粧』、一世一代の『伊達の十役』、スーパー歌舞伎の到達点『新・三国志』……文字通り枚挙にいとまがありません。

僕が最後に猿之助さんを観たのは、2004(平成16)年1月31日の茅ヶ崎文化会館、『一條大蔵譚』でした。前年の暮れに脳梗塞で倒れた後の復帰公演でしたが、この巡業を最後(2/24札幌)に舞台には立たれなくなってしまいました。結果的にあれが最後の舞台でした。

猿之助さんはいつも走り続けていました。反逆者・異端児・風雲児などいろいろと称されましたが、僕の中ではヒーローが一番ぴったりきます。創作活動だけでなく人生哲学も多大なる影響を受けたといっても過言ではありません。

三代目猿之助さん、これまで本当にありがとうございました。明日はかぶりつきでしかと見届けます。
着物を着はじめて4年ですが、これまで着物でお芝居を観ることは​避けてきました。畏れ多かったんですね。でも、明後日は勇気を振​り絞って着ていこうと思います。


posted by 山崎達璽 at 20:27| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

カンヌ国際映画祭のホワイトカード

2012-05-24 08.24.55.jpgワイドショーを観ていたら、現在開催中のカンヌ国際映画祭が特集されていました。「カンヌは一生の憧れだなぁ」と思いつつ、ついつい13年前の思い出の品々を見てしまいました。
ただの自慢かもと思われるかも知れないし、過去の栄光にすがっていると言われるかも知れませんが、なんとなく自分の足跡を確かめたかったんです(^_^;)

写真は招待監督をはじめVIPしか許されないIDカードです(以下、1999年当時の事情)。
カンヌ国際映画祭は、21世紀の今もフランス階級社会の雰囲気が色濃く残るお祭りです。監督週間や批評家週間などのサテライト・イベントは別ですが、公式部門(長短編コンペ、ある視点、シネフォンダシオン)は入場制限があります。事前に登録してIDカードを持っていないとパレという巨大な映画祭会場には入れません。そして上映会場にはさらに招待券が必要なんです。
が、このホワイトのIDカードは別格で、どんなに行列があっても優先的に観ることが出来ます。監督をもてなすのがあのお祭りなんですね。
そんなお祭りですから、カンヌには魔物がいると思います。一生取​り憑いて離さないんです、たぶん。

posted by 山崎達璽 at 09:55| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

金環日蝕を撮らまえる

IMG_1345.JPG鎌倉は3:30前ぐらいに土砂降り、その後小雨になり、7:25まではポツポツ降っていました。金環日蝕の最中も曇り空でしたが、時折、雲の絶え間から顔をのぞかせてくれました。残念ながら蝕の最大は撮らまえられませんでしたが、雲のおかげでフィルターが不要で、水墨画のような味わいが出たと思います。

Canon EOS Kiss X4/250mm/F11, 1/125秒/ISO 100

posted by 山崎達璽 at 10:48| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

デジタル・リマスター 『楢山節考』 カンヌ国際映画祭ワールド・プレミア

昨日、現在開催中のカンヌ国際映画祭で木下惠介監督の『楢山節考』のデジタル・リマスター版がワールド・プレミアされたそうですね。いわゆる“木下版”は僕の大好きな映画の一本で、昨年、川喜多映画記念館でのフィルム上映ではその美しさに溜め息が出ました。

ところで、拙作『宮城野』について、篠田正浩監督の『心中天網島』(69)の影響をよく指摘されますが(もちろん影響は計り知れません)、最初に目指したのは木下版の『楢山節考』の方なんですよね。戯曲、それも二人の語り芝居の世界をどう表現するか? 美術監督の池谷仙克さんから最初に挙がったのは“木下版”の趣向でした。
・オールセットで太陽の光も人の手でコントロールする
・ある部分は徹底的に作り込むし、ある部分は徹底的に省略する
・歌舞伎や浮世絵で培われた表現方法を映像に持ち込む
……当時のノートにはこんなメモが書かれていました。池谷さん曰く「ドイツ表現主義に対して、これは日本表現主義だね」と。

池谷さんは、僕が中学の時に『帝都物語』を観て、自分が将来監督デビューする時には絶対この人に美術をやってもらおうと長年の憧れでした。夢叶っての『宮城野』の、フィレンツェでのワールド・プレミアでは一緒に舞台に立ったし、木下版『楢山節考』のジャパン・プレミアは是非一緒に行こうと思います。
posted by 山崎達璽 at 15:32| 映画『宮城野』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

澤瀉屋のお練りのニュースについて思う

昨日の新聞にあったワイドショーの見出し「速報!ゆかりの浅草寺で香川照之スーパー襲名」に愕然としましたが、案の定、放送内容も?がたくさんでした。

そもそも澤瀉屋の当主は「猿之助」であって、この襲名のメインは亀治郎さんの猿之助襲名。愛らしい御曹司・團子クンを中心に取り上げるのなら、ワイドショーの性質上分からなくもないですが、香川さんの中車襲名はあくまでサブです。香川さんは分をわきまえていて、亀治郎さんを引き立たせようとしていたのは誰の目にも明らかだったと思います。

それから、四代目(よだいめ)を平気で「よんだいめ」と読むナレーション。松緑の襲名の時もよくありましたが、これはもはや国語の問題です。亀博の映像のナレーションでも幕間(まくあい)を「まくま」と読んでいたり……。

また、中車さんが演じる予定の『ヤマトタケル』の帝は、確かにとてもいい役ではありますが、決して「準主役」ではありません。

いやいや、お練りの映像を放映してくれただけ感謝しなければならないのかな(-_-)
posted by 山崎達璽 at 07:44| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月07日

スーパームーン

supermoon.JPG昨夜は、通常の満月より大きく明るい満月、“スーパームーン​”でした。
ふと思い出したのが、ベルナルド・ベルトルッチ監督作品『シェル​タリングスカイ』。公開当時、中学生の僕には内容はさっぱり分か​りませんでしたが、ラストシーンで原作者が登場してこんなナレー​ションが入りました。得も言われぬ感覚が今でも強烈に心に残って​います。

人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。
だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。
自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか? せいぜい4、5回思い出すくらい​だ。
あと何回満月を眺めるか? せいぜい20回だろう。
だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。


本気で撮った写真を載せます。いろいろな願いを込めて(^_^)
Canon EOS Kiss X4/250mm/F8,1/250秒/ISO 100

posted by 山崎達璽 at 09:33| 筆のすさび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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